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2004年2月20日 (金)

「激心」 セルジオ越後&金子達仁

その昔トルシエ解任を主張し続け、世のサッカーファンから電波ライ
ター扱いをされた金子達仁はジーコをどう見ているのか?それが知り
たくて、セルジオ越後との対談本「激心」を読んだ。

両人ともさすがにジーコには不満のようで、はっきりと解任しろ!とは
言ってないものの、このままジーコでは駄目だという認識のようだ。

最初ジーコ批判で始まった対談は、すぐに協会批判、選手批判、若手
批判、育成批判へと続き、まぁこの2人の事だから、ほめたりはせず、
辛口トーク。セルジオ越後氏は草の根的サッカー普及事業に携わって
いる事もあり、特に育成面の指摘では教えられるところも多々あった。
官僚化した協会批判も全面的に賛同する。

2人の対談で気になったのは、その批判の軸が、「日本人は○○だ」
「日本社会は○○だ」という、日本(人)論にすぐに収束してしまう点と、
「海外では○○なのに」という、海外相対主義に頼ってしまう点。

日本(人)論を持ち出されると、じゃ、社会の根本を変えるしかないよ、
そのためには現在の教育制度が、いやいや、政治から変えて云々と
いう話にならざるを得ないし、日本サッカー界だけが負いきれる問題
でもない。何より、そんな事やってちゃ、到底2006年に間に合わない。

日本(人)の特殊性を説きつつ、海外相対主義を持ち出されても、国民
性が違うんだから、同じようになんてできないよ、で終わってしまうの
ではなかろうか。

レイ・ブラッドベリの原作を映画化した「華氏451度」で、読書を禁じられ
た社会が登場する。書物を忘れることができない人々はどうしたか?
 − 「読書が禁じられているのであれば、覚えてしまえばいい」 

制約があるのであれば、それを逆手に取ってしまえばいい。日本社会
が均質社会で、日本人が責任を回避するのであれば、そんな社会や
人間にしかできないサッカーを必死で追及すればいいのではないか。
そんなサッカーがどんなサッカーか明確にイメージできない。だから
こそ、今まで見たことのない日本サッカーを見せてくれる人が必要なの
だと思う。そして、その日本サッカーはきっと僕たちを熱狂させてくれる
に違いない。

お勧め度(5段階):☆☆

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