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2005年6月 8日 (水)

W杯アジア最終予選 vs北朝鮮 あるいは、さようなら、また会う日まで

2000年のレバノンのアジアカップ。シドニー五輪代表メンバーを多く起用し、若返りを図った日本代表は超攻撃的なサッカーで素晴らしい戦いを見せ、文句なしのアジアチャンピオンに輝いた。AFCには「アジアカップ史上最強」というキャプションと共にこのときの写真が飾られているという。そのチームは2年後の日韓W杯で念願のW杯初勝利をあげ、グループリーグを突破した。しかし、決勝トーナメントでは、トルコの前に何もできないまま敗退した。世界の中での限界も見えた試合だった。

とはいえ、この時の日本代表はまだまだ若く可能性に溢れたチームだった。当時20代前半の選手がピークを迎える4年後のW杯ドイツ大会。そのときの日本代表はどんなに素晴らしいチームになっていることかと、期待に胸を躍らせた。

W杯後トルシエに代わり、Zが監督に就任。監督経験の全くない未知数の監督だった。一抹の不安を覚えたが、前任者になかった選手の自主性を重んじるという評判だった。チーム戦術の約束事+自主性をベースとした状況判断。悪くない。

それから3年。ZJは今日、北朝鮮を2-0で破り、世界で一番最初にW杯出場を決めた。確かに、2004年のアジアカップ連覇、W杯出場と最低限の結果は出している。しかし、ZJのサッカーがレバノン大会の日本代表に比べていくらかの上積みがあったかと考えたとき、私にはそうは思えない。極めて主観的な表現だが、やっているサッカーがちっとも面白くない。心に響いてくるものがない。中国アジアカップのヨルダン戦のPK戦での川口、バーレーン戦の中澤同点弾、鈴木の走りには感動したが、それとてチームというより個人の頑張りという側面の方が大きい。

代表監督は日本国籍のすべての選手を自由に選択、組み合わせる特権を持っている。雇用主であるクラブから選手を借り出し、チームに召集する特権を持っている。そういう、特権と犠牲から成り立つ代表のサッカーは、一国のサッカーレベルを示すものであり、その国で一番強く、素晴らしいサッカーを見せる事が求められているのではないか。他チームの模範、あるいは目標となるようなサッカーをする義務があるのではないか。そして、その結果として勝つこと。

Zではダメだ。一国も早く解任して、2000年/2002年の日本代表につながる系譜を復活して欲しい。だが、W杯出場を決めた監督を解任する(世論を納得させる)理由もないだろう。おそらくZJはこのまま、ぐだぐだとコンフェデに出場し、W杯に出場し、惨憺たる結果でその終焉を迎えるのだろう。そして、後任の監督の前には空白の4年の負債が重くのしかかる・・・

てな事をつらつら考えているうちに、クラブのサポーターと同じ水準で代表のサポーターていうものがそもそも成立するのか、国籍という怪しい区分けでチームを編成し戦う事は現代においてどんな意味(意義)があるのか、日本人にとって日本代表とは何か、などなど色々原理的な疑問は沸いてくるが、とりあえず今度の土曜日にどこのスタジアムに行くかの方が重要なので、この話題はとりあえずここでおしまい。


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